人権教育
本日、市の実施する「人権教育講座」なるものに出席。
子供達の間のイジメ。
幼児虐待、子捨て。
子殺し、親殺し。
そんな事例を聞いてるうちに、苛立ちを抑え切れなくなりました。
これは人権問題ではありません。
いや、人権をいくら宣伝しても解決できる問題ではありません。
「義務」「責任」
この事を断乎主張せねば、絶対に前に進まないでしょう。
学校に対する強請、給食費不払いやら、
今起きている、考えられないような無法は、「義務」を知らぬ輩に、「権利」のみを教えたからではありませんか?
とうとう最後に、何時もながらの、言わずもがなを言ってしまいました。
「行政も、人権教育などという訳の分からない講座を開かずに、義務教育講座を開設すべきだ」--と。
そもそも、人権教育なるもの、その発祥の時点から、胡散臭さが見え隠れる代物でした。
その問題から手を退いた今も、何故こんな言葉に拘るのでしょう?
国歌、国旗に対する尊敬を教えるべき、義務教育担当の教師が、それを侮蔑し、満座の中で、大胡坐をかいて、再任用を拒否されたとき、何をしました?
裁判です。
子供等に対する義務感など欠片もなく。
自分があるだけ。
自分だけの思想の自由とか言う嗜好。
(でも、行動の自由は無制限でしょうか?)
こんな輩に権利教育などと、盗人に追い銭と言うヤツでしょう。
我々は、戦後の教育に於いても教えられたものです。
「権利とは、義務を果たすためにあるものだ」---と。
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