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キリスト教に偏見を抱く人たちへ

鶴ヶ島聖書教会秋の伝道礼拝第3週は、
小山田格先生の、イエスを信じることによって得られる「真に豊かな人生」

小山田師は、鎌田雅人師と聖書宣教会の同期生、
今は、聖書を広める組織のアジア地区で枢要な立場にあられる方だそうです。

ところで、「信じる」と言うこと自体、未だ明確な意味をつかみかねている信仰薄き者ですから、
師のお話を正確にお伝えできませんが、
「信じるとは、
イエスは真理、つまり、聖書全体により真理が解き明かされると言う確信に基づく習性」
勝手にそうしておいて、本題に参ります。

小山田師のお話によれば、
若き頃、放蕩の大学生活からイエスに目覚めるが、
尚アメリカの神学校入学などと、世俗に執着心を捨てられなかったとか。
結局、先人の導き、神の御計画により、
貧しき日本の神学校、聖書宣教会に入られたそうです。

私の心を打つお話は、師のお父上のお話でした。
父君は、仏教徒、
それも生半可では無く、只管打座、座禅に励み、
厳しく仏道を極めようとされる方だったそうです。
小山田師が、家人の反対を押して、
既に決定していた大企業への就職を捨て、キリスト教伝道への道を選んだ時は、
夜毎、回心するよう膝詰めの叱言をされたとか。

師が神学校に移り住む最後の夜のこと、
師を呼ばれた父君の為された事は、
何時もながらのお説教の代わりに「祈り」だったそうです。
「我が子を、神に捧げます」と言う祈りであったと。

その後、父君もキリスト教に回心されたそうです。

そこで、フト、思った事です、
小山田師のお父上は、キリスト教も仏教も同じだと思われたのではないか?
我が子を神にと、祈られたお父上は、仏教徒であった筈です。
その時、その様に祈らせたのは、
紛れも無く、み仏の心。

小山田師は否定されるでしょうか?
私の思い過ごし、
私自身のキリスト教への、いわば偏見かも知れません。
しかし、今迄、仏教とキリスト教を考えつつ、
わが心の神探しを通して、
どの宗教からも見えて来る景色は、同じ。

そんなな思いをを抱くとともに、
その事が決して悪い事では無いように思えるのですがーーー?

イエスの十字架を説法される曹洞宗の和尚さんにもお会いしましたし。
靖国で、教会のパンフレットを配布するクリスチャンも見かけました。
薬師寺高田好胤管主は戦没者50年忌法要で、
H7年、150名の信者と共に、昇殿参拝をされたそうです。

ある教会で、友人の葬儀に参列する若者が、
仏式の作法で良いだろうかと、
真剣に悩んでいるのを見かけたこともあります。
誰の為、何の為の葬儀かを見失っては、宗教者とは言えないでしょう。
人間の真っ当な日常を否定する宗教などあり得ない。

多神がおわす、元々神仏習合の大和に棲んで、
否定から離れる、大らかな信仰とは決して悪くない筈だと感じます。

と言う事で、10月19日(火)には、
靖国秋の例大祭、第二日祭に参加します。

<汝自らの為に、>偶像を刻むな。
偶像崇拝とは、貪りなり。
靖国は、この国の歴史に対する、わが愛情。

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