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素人の共産主義

派遣切り等による労働市場の縮小が購買力の低下を招き、デフレスパイラルに陥る現象が、共産主義の予言のように思えて、
大昔、学んだ共産主義のノートをひっくり返してみました。
共産主義5つの柱
1、唯物史観;社会は、法制的、政治的、精神的上部構造と、生産力および生産力によって規定される生産関係の下部構造よりなり、社会変遷の歴史は生産力により決定される。

2、弁証法的唯物論;生産力の変容が生産関係を規定する様子が弁証法的。

3、階級国家論;生産関係を支配する者が、上部構造を独占する。

4、労働価値説(搾取論);生産関係の支配者は、労働者の使用価値(主観的なものであり、個人的には無限の価値を持つ)を労働者の交換価値(物々交換のために規準化された価値=その物の生産のため投入された労働時間)で買う。
 自由競争下の資本主義の発達は、機械、施設、原料等の不変資本部分が増大し、労賃(可変資本)は一層減少する。
 資本相互の競争は、労働搾取に留まらず、資本家の没落にもつながり、次第に市場の購買力は減少し、資本主義は自滅する。

5、革命必然論;資本主義は自滅するが、上部構造にしがみ付くブルジョアジーを完全に駆逐するためプロレタリアートによる暴力革命が必然。

革命後、生産力は社会共同体のものとなり、人は能力に応じ働き、必要に応じ得る真の自由平等が確立された社会になり、権力機構たる国家は不要となり、枯死する。

すでに、共産主義の予言は破綻し、信奉者はいないようです。
しかし、労働力を物と見做し、結果、購買力を喪失しつつある現状は、現代の経営思想に対する共産主義の痛烈な皮肉のようにも思えます。

そして又、現在の経済学が、完全に現状を捉え得ているのかについても、私には????なのです。

労働価値説に対す、自由主義者の回答は「物の価値は<需要と供給>により決定される」と言うことでしょうが、
私には、この「需要と供給」なるものの正体が完全に解っているようには思えないのです。

例えば「需要は、何によって、どのようにして生まれるか?」
地デジの需要は絶対ある筈です。
その価値を決める需要とは何でしょう?
私には、捉えようもないミクロなもののように思えます、例えば量販店の店員の、その時々の笑顔とかーーー。
マルクスは、需要と供給は、価格の変動を作り出す。つまり価値の周りをウロウロするだけだと言ってるそうです。
最近の新聞によると、価格は量販店の店員の圧力が決めるという報道もありました。

はっきりしていることは、社会を動かすものは、極めて理解困難な人間共であると言うことのようです。
そして、兎も角、人間をないがしろにする発想は、結局、自分の首を絞めることになる。
思えば、資本主義が、マルクスの予言を反故にしたのも、下部構造によって規定される筈の上部構造が「人間」を取り戻したからのように思います。

経営者の方々が今一度マルクスの予言を省みてくだされば「めでたし」と言う訳ですが、悩みは尽きません。
金美齢さんが派遣村とやらに警鐘を鳴らされているように、
人間とは、甘やかせばいくらでも被害者になる性もあるし、時に、阿修羅のごとく勇猛果敢にもなるようです。
何故でしょう?
最近、桜井よしこさんが仰っているように「武士道教育にあり」でしょうか?
やはり、国家は枯死してはいけないようです。
全ては、一層、「この国の姿」に立ち返るべし、の様です。
以上。

いやはや、単に、支離滅裂の素人の憂鬱でした。

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