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戦う操縦士2

も一度読み直しましたが、やはり前に記憶していた言葉は無いようです。
堀口大学の「戦う操縦士」に、2バージョンあり。は確信的です。

類似の表現はあります。
「僕は、敗北の醜態に基づいて批判されることを拒む者だ!
飛行中の焼死を甘受する勇士を、人は、その火腫れになった惨めな姿によって批判するだろうか?彼も同じく醜い姿になるのだが。」

「君の息子が焼死しょうとしているとしたら?君は彼を救出するに相違ない!
ーーーーー君は発見する。自分があんなにまで大切にしていた肉体が一向に惜しくないことを。
----君は君の行為そのものの中に住む。君の行為、それが君なのだ。」

肉体なんかはどうでもいいのだ!重要なものはそんなものではない。」

あらためて思います。
世界に先駆けて犠牲を選んだと、フランス国への愛情を籠めた弁護。
我が国のあの時期を語る物語にも、戦の中を生きたジャーナリストや文学者の文章には、誤りを指摘するにしても、今の評論家的歴史には感じられない、当時のリーダーや、この国に対する愛情を感じます。

その違いは、参加者であるか、傍観者か。
つまり、当事者意識のようです。
歴史に抱かれ、歴史を背負っていると言う当事者意識。

傍観者には、「戦争責任」なぞと言う言葉を使う権利はないと思うのです。

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